ありがとう、セナ。
えーどうもこんにちは。おとまにあです。
自分のサイトでこんな事を書くのは如何なものかと悩みましたが、今の自分の気持ちを忘れないため、少しでも多くの人に、こんな話があった事を知って欲しいと考えたため、日記に書く決断をしました。少々重い話ですので、これから先をご覧になる方は、相応の心構えで、続きを読んで下さい。
日記のタイトルで「セナ」と書きましたが、実は、私の母親が飼っていた猫(アメリカンショートヘア:メス)の名前なんです。その彼女が先週末、2004/10/22の朝に亡くなったんです。17歳だったかな。猫にしてみれば結構な高齢なので、大往生と言えばそうかも知れません。
彼女、私が幼い頃からいたもんですから、自分の中では家族同然、いや、家族そのものだったと思います。初めて出会ったときは、それはもう小さくて、私の手の平に乗るほどの大きさでした。まだ歩き方もおぼつかなく、当時精神的に健全ではなかった私にとっては、やる事なすこと全てが心の薬でした。言うまでもなく、私は彼女をとても可愛がりました。
彼女も私の気持ちを知ってか、すごく懐くようになり、私が部屋でゴロゴロしていると、何時の間にか横で添い寝しているような関係になり、普段は全くと言っていいほど鳴かないのに、私が母親の家に行く度に、わざわざ玄関まで来てくれて、大きな声で迎え入れてくれたんです。
そんな彼女が10歳になるかならないか位だったでしょうか。彼女、子宮ガンになってしまい、至急を摘出する事になってしまったんです。お医者さん曰く、「もう、あまり長くはないかも知れません。」という話を聞いた瞬間は、ものすごいショックでした。その時に私は決めました。彼女が生きている内に、できるだけ彼女と思い出を作っておこうと。
一緒に寝たり、一緒に食事したり、やっている事はごく普通の事でしたが、私にとってはその1つ1つが大切な思い出として積み重なっていきました。彼女も私と遊ぶ事を楽しみにしていたようで、私が乗ってきたバイクや車のエンジン音で、私が来た事を察知する程だったらしいです。いじらしいじゃないですか。
しかし現実は厳しいもので、あまり母親の家に行く機会も少しずつ減ってきてた最中、ちょっと時間に余裕ができた時に、会いに行こうと思い、今月の連休に出かけました。最近母親が新たに飼い始めた小型犬がちょっかいをかけるらしく、彼女、ゲージの中にいたんです。私はゲージの上からずっと彼女を撫でてました。いつまでも。それが私が見た、彼女の最後の姿でした。
それから一週間後、彼女は腎不全で亡くなりました。
こんな考えはご都合主義だと思われるかも知れませんが、彼女、私の事を待ってくれてたんだと確信しています。最後に会った時の、全身全霊を込めた泣き声が、今でも耳に焼き付いて離れません。間違いなく彼女は私を愛してくれていました。そして私は、彼女の事を愛していました。
今、こうして日記を書いている側に、彼女の写真と、彼女が大好きだった鰹節を置いています。あちらの世界で、さぞかし美味しそうに腹いっぱい食べてるんでしょう。涙を流すほど喜んで食べていたほどですから。今頃、一心不乱になってるかも知れません。
これからも彼女の存在を忘れる事はないでしょう。何だか、今もすぐ近くにいるような気がしてなりません。毎日じゃなくてもいい。たまにでいいから、夢に出てきて元気付けてくれれば幸せです。
ありがとう、セナ。
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